Pパチンコ芸人

2020.09.09 / コラム

今から11年前の2009年2月26日に放送された「アメトーーク!」は、パチンコ芸人の回だった。

その時の出演者は宮川大輔、青木さやか、ケンドーコバヤシ、木下隆行(TKO)、 岡田圭右(ますだおかだ) 、吉田敬(ブラックマヨネーズ)の面々。浮き沈みの激しい芸能界にあって、テレビの露出が少なくなっている者もいるが、ほぼ全員がまだ第一線で活躍している。

この中で紅一点、パチンコ愛を語っていた青木さやかが、婦人公論に連載しているエッセイで自身がパチンコ依存症だったことを告白している。

その前に、青木さやかが「アメトーーク!」で何を語っていたかを振り返ってみよう。

まず、パチンコ店での出会いではナンパ的なことがあったことを告白している。

ある日ピンクレディーを打っていると男の店員が来て「今日はこの台は出ないから移れ」と言われたことをきっかけに「ありがとう」と言って話をしていると、「今晩、ご飯に行きませんか」とデートに誘われる。

店員のユニホームを着ている時はカッコよく見えたが、私服はケミカルウォッシュでテカテカの骸骨のTシャツでセンスを疑っているところに、歯がないことに気づく。

居酒屋で4人掛けのテーブルに着くと、「隣に座れ」と言ってくる。青木は恥ずかしいから「嫌だ」と言って対面に座る。すると今度は「お前キスしろよ」としつこく迫ってくる。青木はそんな雰囲気から逃れるために「休みの日は何してんの?」と聞いたら返ってきた返事がこれ。

「オレ、休みの日はだいたいイライラしてるな」

とオチを付けたところで、そういう変わった人がいて、変わった出会いがあるのがパチンコ店である、と結んだ。

出演した当時は結婚していて夫婦でホールにも行っていることを明かした。パチンコをやりながら「『確変が出たよ』とか、コソコソ言い合うのがパチンコカップルあるあるです」と惚気る。

この時、すでに青木はパチンコ依存症だったことをほのめかす。

「なんでこんなにパチンコを止められないのか調べたことがあるんです。出ている時が楽しいのではなく、リーチが掛かっている時に脳内麻薬がバッと出て、その快感が忘れられなくて、パチンコを止められない人が多いらしいんです」

当時好きだった台は「モンスターハウス」。リーチがかかるとオバケが出てチュッチュッするのが可愛くて好きだったようだ。このオバケのことを隣に座っていたおばさんが、「ハト」「ハト」と呼んでいるのがおかしくて、パチンコ必勝ガイドに投稿したが採用されることはなかった。

最後に青木がメーカーに提案するオリジナル台は「CRアメトーーク」。

家電芸人リーチは当たる時は必ず確変。変動時に「シャキーン」という音と共に蛍原のおかっぱ頭が出て、最大4回揺らす。ここで花の昭和47年組が出るとテッパン。フランスのテレビ軍はガセ。信頼度の低いリーチが外れた時は、品川のひな壇からのフォローで信頼度が高いリーチになる。

「メーカーさんが考えてくれるんだったら、本当に真剣に一から考えます」とアピールした。

で、婦人公論のエッセイに話を移すと、名古屋でフリーのアナウンサー時代に本来やりたかったお笑い芸人の道へ進むために、ワタナベエージェンシーのスカウトもあり東京へ進出したのが2003年1月。

エッセイには東京へ出たてのころをこう綴っている。

「東京に出てきてからも、なかなかパチンコがやめられず、借金がかさんでいった。お願いだからパチンコをやめてくれ、と言っていた、当時の彼氏には「もうやめた」と嘘をつき、バイトに行くと行ってはパチンコに通った。パチンコ屋さんから出てくるところを目撃される度に彼氏と喧嘩になり、「もうやめた、信じて」と懇願し、「いや、信じられない」という彼に抱きつき、なし崩し的にベッドになだれこみ、翌日何事もなかったかのようにパチンコに行った。こんなことを繰り返すうちに、彼は部屋から出て行った。
ひとりぼっちになったけど、私にはパチンコ屋さんがあった。そこにいけば名前も知らないパチンコ友達がいたし、何しろ「仕事ない」「彼氏ない」「お金ない」現実を忘れられた」

アメートーークのパチンコ芸人のパチンコ台を開発しても面白そうだが、青木さやかが依存症だったことでこの企画はお蔵入りだな。







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