ネオ昭和空間の「たんぽぽ×SANKYO」〜ドキュメント・レトロパチンコを愛する人たち
2026.06.23 / その他情報5月25日 午後2時。東京の郊外、福生駅から歩いて3分。
数軒の飲食店を過ぎた先に赤い「たんぽぽ」と縁取られたネオン看板の古い建物、
大きな花輪と島配列のイーゼルが見えた。そこには、『マジックカーペット』『アリゲーターII』『ニューペガサス』……。
いまではホールで見ることのなくなった機種名が並んでいる。店内へ入ると、羽根モノの音が響いていた。
液晶演出の音量ではない。玉が役物へ入る、乾いた音と役物が開閉する電子音。
PiDEA編集部は、ここから翌26日午後2時まで、〝レトロパチンコを愛する人たち〟を追った。
【1日目/5月25日 午後2時】
昔の空気が残ってる
羽根モノ台に休憩札を置き、店外に設置されたスタンド灰皿でタバコを吸う男性。谷本昭彦さんは、かつてパチンコ店で店長クラスまで務めた元ホールマンだ。
18歳から30歳まで12年間勤めていた店舗と、その系列店の3店舗もいまはもう残っていない。
月に数回、谷本さんがたんぽぽへ通う理由は、「昔の空気が残っている」から。液晶ではなく、玉の動きを見ていた時代。休みの日にはホールに行き、閉店後に飲みに行く。朝まで飲んで、翌朝また並んだことも。
「昔のホールって、人との距離が近かったんですよ」
たんぽぽへ通うようになってから、谷本さんの周囲には、自然と昔のホール仲間のような空気ができ、22人のコミュニティーができた。
「昔の常連同士の付き合いに近いんですよね」
そして谷本さんは、笑いながら続けた。
「1年半ほど前から週2でここに通うようになってから、昔ホールで働いていた頃の夢をよく見るようになったんですよ……」
そんな谷本さんが忘れられないのが、九州から飛行機で手打ち台を打ちに来た高齢男性だ。夜の遅い時間、閉店30分前に現れたその男性は。上皿にひとつかみの玉を乗せると一発ずつ丁寧に玉を弾き、少年のような顔で盤面を見つめていたという。
「たぶん、昔の自分に会いに来てたんでしょうね」
【同日 午後3時】
ちゃんと動かなきゃ意味がない
30年前、40年前の遊技機を、いまも動かし続ける。
それがイシジュンさんの仕事だ。 かつては地方の大型ホール勤務。休日になると全国のレトロ店を巡っていた。そこで出会ったのが、たんぽぽだった。
「ゲームセンター感覚で遊べるパチンコって面白いなって」
そんな台の役物を補修し、玉の流れを調整する。
メーカーにも部品は残っていない。
「次壊れたら終わりって台もあります」
それでも、毎日磨き、直し、動かす。
「置いてるだけじゃ意味ないんですよ。ちゃんと遊べないと」
最近は若い客も増えた。
「今の子って、液晶じゃなくて玉や役物の動きを見てるんですよ」
レトロ台は、若い世代にとって逆に新しい遊びになっていた。
機種それぞれに玉のルートや重要な釘のポイントが違う。その個性を引き出すように朝の調整を行うという。
【同日 午後3時半】
安く、長く遊べるから
多摩のホールでパチスロを打って負けた後、男性は電車で1時間半かけてこの店へ入ってきた。
「今日は向こうで負けちゃって」と迷わず羽根モノへ座る。
昔は仕事帰りに、1000円、2000円だけ打つ。そんな遊び方が普通だった。
「今は10万円持って行く遊びみたいになっちゃったから」
『CR大工の源さん』全盛期に借金してまで打っていた時代もあった。それでも、玉の動きだけは忘れられない。
「ここ来ると、昔に帰れるんですよ」と言いつつ、男性は「影丸」に視線を戻した。
【同日 午後4時】
ここは文化を残そうとしてるでしょう
一定のリズムで手打ち台に玉を送り込む男性がいた。
渡辺芳倫さん。桶川から通う元高校教師だ。現在も非常勤で週に2回、国語を教えているという。
狙ったぶっ込みへ、ほぼ狂いなく玉が吸い込まれていく。
「昔はみんな、こうやって打ってました」
古い台には、過ぎ去っていった生活の記憶が残っている。
「ここは、文化を残そうとしてるでしょう」
渡辺さんは、店主の「パチンコ文化を残したい」という思いに共感しているという。
午後5時。渡辺さんはジェットカウンターで大箱いっぱいの玉を流しながら、「あと800個で打止めだったんだけど、もう時間がないから帰らなくちゃ」と笑った。
【同日 午後4時半】
ご近所さんみたいな店なんですよ
店の奥から笑い声が聞こえてくる。
中心にいるのは、看板娘の女性スタッフ・さっちゃんだ。
「ここの仕事はめちゃめちゃ楽しいですよ」
その理由はシンプルだった。
「人と話せるから」
パチンコの話だけではない。仕事。天気。ご飯。
「普通のホールみたいにピリピリしてないんですよね」
この店には、コミュニティーの空気が流れている。困ったことがあれば、常連客が自然と手伝ってくれることもあるという。
【同日 午後5時】
昔の台って、人間臭いんですよ
●『ニューペガサス』常連客(60代)
60代男性には、目当ての台がある。『ニューペガサス』。
40年前、1.5号機と呼ばれた時代のパチスロだ。
「これを打ちに来てるんですよ」
吸い込み枚数によって設定ごとに波を作る。完全確率ではないが、当時は許可されていた。
「昔の台って、人間臭いんですよ。それが今の台との違いですかね」
【同日 午後6時】
100年後にも残したい
お客さんのクレーム対応で夕暮れ時に店へ現れた山川さん。
共同経営者の一人として、修理や設置を担当している。
「表現活動なんですよね」
利益だけを考えれば、成立しない。
古い台を維持するには、金も時間もかかる。それでも、動く状態で残したい。
「100年後の人に、昔のパチンコってこうだったんだって触ってほしい」
文献では分からないものを、未来へ残す。たんぽぽは、そのための「0号店」と言う位置付けだ。
【同日 午後6時半】
データ通りに当たると気持ちいい
夕方になると、常連たちが集まり始める。
いつもその中心にいるのが、「ささやん」だ。
羽根へ何発拾われたか。Vへ何球入ったか。
頭の中で、一球ずつ数え、メモを取る。
「理系なんで」
ささやんにとって、羽根モノは「統計」だ。
「運だけで当たるの、あんまり好きじゃないんですよ」
欲しいのは、読み通りの当たり。
「自分の計算通りに打止められると、気持ちいいんです」
統計に裏打ちされた読み通りの当たり。好きな店内の空気感に囲まれながら今日もそれを追求している。
【同日 午後7時】
失われた時間が残ってる
山梨から車で1時間半。54歳の男性は、時々この店へやって来る。元国家公務員。
「昔は制服のまま打ちに行ってましたからね」
当時のパチンコ店は、いまよりずっと身近だった。生活圏の中にあって、ふらっと立ち寄れる場所だった。 いまの大型店とは、空気が違ったという。
惹かれているのは、台だけではない。
店の匂い。街の景色。若かった頃の時間。自宅には、古い実機が10台以上ある。
「場所取るし、重いし、音もうるさいんですけどね」
それでも、電源を入れると、当時の感覚が少し戻ってくるんだとか。
【同日 午後7時50分】
最後まで、人が残る店だった
閉店アナウンスが店内に流れる。玉とメダルの音が少しずつ減り、常連たちが席を立つ。
「今日、何台打止めした?」「あの台、4かな、5かな?」「今度はいつ来る?」
帰り際まで、会話は続いていた。
1人で誰とも離さず、名残惜しそうに台から玉を引く姿もある。
スタッフたちの片付けや掃除がはじまり、主要な電源が落とされる。
「また明日来ます」
誰かがそう言って店を出ていく。
昔のパチンコ店には、きっとこういう時間があった。
誰もいなくなったシマで、照明が落ちる。古い遊技機のランプだけが小さく光っている。
そして、ガラガラと音をたてながら3台のシャッターが閉まった。
【2日目/5月26日 午前9時30分〜45分】
開店前後の風景
翌朝。昨日に続き再び店へ向かうと、開店を待つ10人余りの常連たちが、すでに列を作っていた。9時40分に入場順を決める抽選が行われ、再整列。9時50分の入場で埋まっていくのは今回コラボで20台設置されたSANKYOのハネモノだ。
店内放送が流れる。
「30年、40年前の台ですので、優しく遊技をお願いします」
ハンドル固定。撮影ルール。アンケート案内。
それはホールというより、古い文化財の公開前に近い空気だった。
10時きっかりに軍艦マーチとともに遊技がスタート。この時点で店内には27人の客が思い思いの台に座る。SANKYOの20台のハネモノはもちろん満台だ。
10時ちょうどに来店し、狙った台が取れなかった男性客は、「今のうちに打っておきたいんです。いつ消えるか分からないから」と言いつつ、「いずれ打止になるでしょうから、開放してもらいます。それまで他の台で楽しんでますよ」と話した。
【同日 午前11時】
技術で勝てたんですよ
●元ソムリエ、現タクシー運転手の男性
千葉から訪れた男性は、かつてソムリエだった。いまは都内でタクシー運転手をしている。
「コロナで店がなくなっちゃってね」
好きだったのは、『ゼロタイガー』や『キングスター』の時代。
止め打ちや釘読み。
「昔は技術で勝てたんですよ」
いまの台は、出るか出ないかの二択。だからこそ、昔の打感を確かめたくなる。
「玉の軌道見てるだけで、昔を思い出すんですよ」
「出るか出ないか」の極端なスペックが増えた現行機に物足りなさを覚え、アナログ特有の緊張感や、少しずつ玉を積み上げる楽しさへの思いは強い。
【同日 正午】
残しておかないと消えちゃうんです
店内で動画を撮影していたが休憩のため店外に出てきた男性は筋金入りのレトロ台愛好家だ。
幼少期に父親に連れられてホールへ通った記憶が原点にあり、現在は自宅に300〜350台もの実機を所有。室内は個人宅というより、小規模なゲームセンターや昔のスロ専さながらの光景だという。
YouTubeではそれらの台を実際に動かし、映像として残している。
「記録なんですよ」
古い台は、突然壊れる。部品も、基板も、もう残っていない。
だから、動いているうちに映像で残す。
「昔のホールって、こういう空気だったよなって」
彼にとって動画は、単なる趣味ではなかった。「保存活動」と言ってもいい。
【エピローグ】
店内には、往年の名機を懐かしむ中高年ファンの姿が目立っていた。かつてホールで青春時代を過ごした世代にとって、羽根モノや一発台は単なる遊技機ではなく、人生の一時代を象徴する存在なのだろう。 常連客の一人は、「今の台は演出ばかりで疲れる。でも昔の台は玉の動きを見ているだけで面白かった」と笑う。そこには漫然と打たされるのではなく、〝自分で攻略している〟という感覚が確かにあった。
今回の取材は平日ということもあって20代の若者からコメントを取ることはできなかったが、常連客からは「最近は休日や祭日などに若い人もレトロ台に興味を持って来ることがある」という話も聞かれた。動画サイトやSNSを通じて、かつての名機に触れる機会が増えたことで、当時を知らない若者たちにも「アナログ時代のパチンコ文化」が新鮮に映っているのかもしれない。
デジタル化が進み、効率や射幸性が重視される現代の遊技機とは対照的に、レトロパチンコには玉の軌道や釘調整と向き合う独特の面白さが残っている。勝敗だけではなく、懐かしい音やランプ、役物の動きを楽しむ。そんな空間には、今のホールでは味わえない「人と台との距離の近さ」があった。
時代の流れとともに姿を消していった名機たち。しかし、それらを愛し続け、継承しようとする人々がいる限り、昭和・平成初期のパチンコ文化は、単なる過去の遺産ではなく、今もなお生き続けている。
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