「空気階段の踊り場」というラジオ番組で、韓国ロケ録音というお仕事にお呼ばれされました。鈴木もぐらがダイエットに成功したご褒美企画だったのですが、一発録りという形ではなく、1泊2日の工程で、街中で適当に録音をしながら進めていくスタイルで撮影が行われたのでした。
ロケ自体は1泊2日だったのですが、たまたま私も次の日の仕事がバレまして、空気階段も次の日いけるということで、2泊3日の旅程に変更してフリータイムができたのです。
となるとやることは1つ。カジノですね。もちろん行きましたよ。私、もぐら、水川かたまり、そしてディレクターとプロデューサーの5人で行ったりしましたが、結局、私ともぐらは日本に帰ってこなきゃいけない飛行機が出るギリギリの朝6時50分までやっていました。
スロットやルーレットなど一通りやりました。スロットマシンは中国の人形みたいなのがたくさん出てくると、何か起こるような台で遊びましたが、基本は意味が分かりませんでした。全然ルールが分からないながらも、もぐらと並び打ちをして、「この演出が出るとこうなるんじゃないか」と2人で解析しながらやっていたんです。
最初は訳もわからず、とりあえずマックスで回したら一回転で5000円。これはダメだとなって、一回転100円くらいの遊び方に落ち着きました。相場としてはフリースピンに入ると一回2万円くらい出ることもあったり、ジャックポットなら500万円くらい出るようなイメージ。
打ってみて分かりましたけど、あれを日本の今のパチスロ業界がつくったらめちゃめちゃ流行るんじゃないかなと思いますね。やっぱりATとかに入ったりリーチ目が出たりとか演出が分かるし面白いんです。私は日本の景気なんてものはよく分かりませんけども、すごい国だった日本を救うのは、もしかしたらパチスロ業界なんじゃないかと。もぐらと「パチスロで一撃あるよな?」と真剣に会議をしながら打っていました(笑)。
ただ、結局バカラなんですよね、明らかに汁が出たのは。「ギャンブルは最終的に2分の1に行き着く」とはよくいったもので、基本カジノって2倍にするゲームが多いのですが、バカラはもう本当に最高。バカラってプレイヤーかバンカーのどちらかが勝つかにかけて当たったらもらえるというシンプルなゲームです。
最終日、飛行機の時間もあるので、6時までにはカジノを後にしなきゃというところで、2人とも全財産が10万円になっていました。もぐらとバカラの卓について、残りの10万円をプレイヤーにベット。一番汁が出るカードの絞りがもぐらに託されました。まず絵柄かどうかを縦に絞る。足がある。絵柄だったらすぐに分かる。なんもなかったらエース。足が一本だとしたら、2か3しかない。足が2本あるのを確認したら横にして絞る。10万かかってるのでもう私は見ていられない。絞り切ったところでパッとめくったらプレイヤーの勝利。手持ちの10万円が20万円になりました。2人で「うわー」と叫んだのも束の間、「どうする? 20になったけど」と。
私は寄生させていただいている彼女に、「収録なんだ」「僕が3万円じゃいけないよ……」「もぐらはこんだけ持ってくるみたいだよ」とあたかも収録で使うかのように、情に訴えかけて35万円の軍資金をお借りしました。そうです。20万じゃまだ負けているのです。
2人は迷わず、20万円を倍プッシュしました。もう一度プレイヤーに20をかけて、これが当たりまして40万円! 「プラスで帰れる」とも思いましたが、次も当てれば80万円になるんですよ。
「どうする? こんな楽して80万もらえることなんてないぞ」
「番組だったらいくべきだ。でもこれは番組じゃない」
「このまま帰っても誰も文句を言わないだろ」
飛行機の時間が迫っている中、5分〜10分程度の非常に濃い話し合いが行われました。結局、2人ともその後の生活があるので、30万円は確保しようと謎に10万円をベットすることになりました(笑)。
流れ的にもう1回プレイヤーに賭けよう、いや、俺らがこれでプラスになるわけがない。だったらバンカーだと逆張りをしたところ、これが見事に当たり手持ちは50万円に!
ここからが人間怖いのですが、3桁の大台も見えてきて、また悩むのです。ただ、最終的に「我々は芸人じゃない。ただのカジノ中毒の人間だ」と言い聞かせ、30万円を残して20万円をベットすることにしました。どちらに張るかせーので言いあうと、私はプレイヤー、もぐらはバンカー。これまで合致してきたのに、ようやくここで初めて意見が割れました。私が折れてバンカーでいこうと。ディーラーがカードを引く。プレイヤーのカードは7。うめき声を出しながら見守るしかありません。そしてバンカーのカードも7。タイという結果になり、飛行機の時間もあってそこで終戦となりました。
やっぱりカジノというかすべてのギャンブルは成功体験を得た時に自分を抑えないといけない。引き際の重要性を強く感じた戦いでした。