立志伝 金海基泰(株式会社ユーコーホールディングス 代表取締役社長)

2019.10.10 / 連載

「笑顔と元気の創造」に込めた
100年企業への思い

 

 

ホールの近代化と健全化にいち早く取り組んだ老舗企業


ユーコーホールディングスは福岡県を中心にパチンコ店28店舗を展開するユーコーのほか、遊技機のリサイクル事業を手がけるユーコーリプロ、不動産管理と旅亭を運営するユーコーエステート、ゴルフ場を経営するS&Eゴルフ、飲食事業を経営するS&Eダイニングなどを傘下に収める持ち株会社だ。
創業は1948年。売上高1000億円強、従業員1500人超と九州では1、2を争う大手ホール経営企業である。

1974年、現会長の金海龍海が23歳でユーコーの社長に就任し、佐賀県鳥栖市に2号店をオープンした後、店舗展開を本格的にスタート。80年以降は福岡県内に続々と出店する一方で、全国のホールの先駆けとなる都市型立体駐車場、大理石などを使用したハイグレードな内装(82年)、コンピュータを導入していち早くオンライン化に着手(83年)、業界初のオリジナルユニフォームの導入(83年)など近代化に取り組んだ。

1992年には福岡県大牟田市で3店舗を同時オープンさせて話題を集めるとともに、貯玉システムを導入して業界の健全化にも取り組んだ。
また同年には、使用済みパチンコ機の不法投棄が社会問題化したことを受けて、その解決を目指すための適正処理会社、ユーコーリプロ(前身はユーコートレーディング)を設立。それ以降、遊技機メーカーと一体となって使用済み遊技機の適正処理とリサイクル事業を推進してきた。

マネージャーからスタート 店長と一緒に数字を勉強


現社長の金海基泰がユーコーに入社したのは21年前の1998年、大学を卒業した年だ。

「祖父も父もパチンコ店を経営していましたから、子供の頃からいずれは跡を継ぐだろうとは考えていました。父からは『30歳まで好きにしていい』と言われていましたから、本気でプロスノーボーダーを目指していました。でも大学在学中に父が病気になってしまって……。急きょ、戻ることにしました」

このときの父・龍海は大病を患っていた。「少しでも楽をさせてあげなければ」。この思いから入社の意を固めた。

幼稚園のころからホールやその2階にある事務所に出入りしていたという金海。ホールに行き、祖父からパチンコの話をされた記憶が残っているという。高校時代は親戚のホールの2階に下宿した時期もあり、環境には慣れ親しんでいた。
入社後はマネージャーからのスタートだった。

「パチンコ店の経営を学んでいかなければということで、店長と一緒に数字の勉強から始めました」

金海のいとこで5歳年下の現ユーコー取締役の金海基浩にはこんな記憶がある。

「東京で学生時代を過ごしていた当時の話です。上京してきた基泰社長に食事に連れて行ってもらったときのこと、夜23時になると計ったように私たちの席にFAXが届きました。何かと思っていると早速それを手にとり、目の前で計算に取り掛かりました。そうこうするうちに今度はなにやら指示を出し始めていました。その光景に正直驚きました。それは店舗の営業に関わる仕事のようでした。驚きましたよね。食事の場にまで仕事に追われる姿に舌を巻いたことを今も憶えています」

当時はまだ入社2年目、統括本部長に就いていた。全店舗に対して翌日の営業指針を指示する役割だった。この挿話に金海は「そんなこともあったな」といった様子で、懐かしむように笑みを浮かべながら、実は父である会長もそうだったとはにかんだ。

「会長は帰りの車の中でもそれをやりましたから。それを見ていたので……」

金海にとってそれは当時の日常のひとコマにすぎなかった。

 

 

トップダウンからボトムアップへ 目指した変化への対応力強化


金海は「常に変わり続けること」を経営の信条として胸に刻んでいる。不断の改善こそが企業価値の向上に必要な要諦である。そう強く銘記している。

21年前の入社当時、すでに会社は本社機能が確立され、組織体制もしっかり築かれていた。ホール経営を商店ではなく企業としてやっていく、この方針を昭和の時代から掲げていた父が、強力なトップダウンのもとに築き上げたものだった。
トップダウンの威力は成長期には効果的だ。経営者のカリスマ性が会社の士気を高め、全体の力を押し上げる。しかし金海が入社した当時の業界は安定期から下振れに転じつつあった。父は会社を大きくした。大きな成功を手にした父の背中を誰よりも見てきた。しかし同じ土俵に立てば、きっと父には敵わない。忸怩たる思いがあっても、そこは覆らない。変わらなければ、変えなければ、トップダウンの先に何があるのか。果たしてこのままでいいのだろうか……。そんな想いが金海の中で次第に大きくなっていった。

やがて金海は営業指針に関する従来のトップダウンを改める。それはその後に行うことになる改革の手始めでもあった。

「こうした変化の時代に従来と同じやり方が果たして通用するのか。父なら通用するかもしれないが、自分はどうなのか? 自問自答を繰り返す中で、たどり着いた1つの答えがボトムアップ方式への転換でした。私から出していた営業指針を各店舗責任者自らが考える方式に改めることにしたのです。このボトムアップ方式は今では当社のさまざまな業務部門に大きな広がりを見せています。何より大切なことは100年後もこの会社を存続させること。それは働いている多くの社員に報いる意味にも重なります。時代は容赦なく変化を要求します。立ち止まっている時間はありません。しかし変化への柔軟な対応力は押し付けでは養われません。だからこそボトムアップ型の組織力が必要でした。間違っていなかったと思います」


続きは10/15発行のPiDEA Vol.158で

 

 

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