ホール社長の座を降りて介護の世界へ進んだ3代目

2021.06.02 / コラム
私立の医大を卒業して、脳外科の研修医として働いているAさんの実家は、その地域では名が知られた中堅ホールだ。

ホールは長男の兄が継ぎ、二男のAさんは父親である社長から「お前は頭がいいから勉強して医者になれ。今後、兄弟2人がホール経営で食べられる時代ではなくなる」と言われて育ち、猛勉強して医者の道を選択した。

父親は2代目だった。先代のおじいちゃんは、フィーバー機が出る前にパチンコ店を始めたが、当時は儲かる商売でもなかった。

先見の明があったわけではないが、たまたまフィーバー機が登場で一気に儲かる商売となった。

おじいちゃんはパチンコで儲けたカネを株に投資していた。バブルという言葉もまだ使われていなかった。株の異常な上がり方に不安がよぎり、「十分儲けさせてもらった」とバブルが弾ける前に全部手仕舞いしていた。そういう意味では先見の明があった。

2代目社長は4号機が終焉を迎えた時に、「パチンコ業界はこれで終わった」と直感した。

4号機では随分稼がせてもらったが、この売り上げはバブル期の株価の様に異様だった。今後いくら規制緩和されても4号機時代の賑わいが戻ることは二度とない、と予見した。

この頃、二男のAさんには「医者になれ」と発破をかけるようになっていた。

さらにパチンコの売り上げの稼ぎ頭であったMAX機が撤去され時は、パチンコの市場規模は半減すると思った。

実際Aさんの実家の店舗も現在は全盛期の3分の2まで縮小している。

代表取締役は数年前から長男にバトンタッチされていた。コロナで業績はガタ落ちになった。業績が下がっているのに会長、社長の親子がベンツに乗っていることは、社員の手前もあるので、2人ともレクサスに乗り換えた。

会長である父親は長男の社長に「今のうちに自分で自分の進路を探せ」とホール経営に見切りをつけ始めた。

勉強が嫌いで大学には進学することなく、そのまま自社に入社した。若い時からヤンチャだった。ホール経営に携わるようになっても結構遊んでいた。弟の目には「放蕩兄貴」に写っていた。

で、兄が出した結論が介護業界だった。

高齢化社会を迎え、ますます社会から必要とされているのが介護の世界である。兄は退路を断つために代表取締役を降りて、介護業界を一から勉強するために介護会社に就職した。

放蕩兄貴が20万円の給料で介護業界を勉強していることに驚かされると共に、本気度を感じた。介護士の資格なども着々と取りながら、いずれは介護施設を経営することを目標に働いている。






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