コロナ禍でも衣食住足りれば、遊びは必ず必要になる

2021.01.29 / コラム
生きていくためには衣食住は最低限必要なことである。コロナ禍では失業して衣食住もままならない人が増えている。

コロナが収束して、衣食住も足りて、おカネにも気持ちにも余裕が生まれると絶対に必要になってくるのが遊びである。

遊ぶということは、本来なら必要もないことをやることである。必要でもないことをやるのが遊びであり、自分がやりたいから楽しい。

登山に興味のない人からすると、危険を冒してまであんなに苦しそうに山に登ることの楽しさは分からない。登山に興味のない人からすると山登りはその人の生活には必要ではない。

マラソン然り。42.195キロを過酷な距離を走るために、わざわざ飛行機に乗ってハワイまで出かける人たちもいる。マラソンをしない人から見れば、健康を害しているようにしか思えない。

趣味の世界とは興味のない人からすると無駄なことをしているように映るものだが、それが楽しいからやるわけで、そうした遊びがあるから世の中の進歩と発展につながっていることは否めない。

パチンコもパチンコをしない人から見れば、おカネと時間の無駄にしか見えない。

かつてパチンコはストレス発散になると言われた時代があった。それが今ではパチンコをやるとストレスが溜まることになっている。言うまでもなく、等価によって回らない、設定が入らないからである。遊技機本来の楽しさを味わうこともできず、ホールの運営の仕方で楽しさが半減されている。

コロナ禍で外出も規制され、自由に行動することが制限され、先の見えない不安と併せて、国民のストレスは溜まる一方だ。それを我慢できない若者は街に出て騒ぐ。それが感染拡大につながっている。

コロナ禍で手軽で、身近なストレス解消の受け皿にならなければならないのが、パチンコホールである。その役目を今こそ果たさなければならないが、コロナ禍で業績が落ち込むホールにそんな余裕はない。

稼働が落ちても利益確保が簡単にできるとばかりに、すぐに釘を閉めてしまう。これが客を飛ばす要因と分かっていながら断ち切れない。

コロナ禍が始まった1年前は、マスクをしていない人が多かった。それが1年経ってマスクをするのは当たり前になり、電車でマスクをしていない人はいなくなった。

この1年で国民の行動様式はいとも簡単に変わった。

パチンコ業界もホール、メーカーを含めて1社1社の努力によって低価交換にシフトしなければ、生き残ってはいけない。ストレス解消には玉をジャンジャン出せる営業が必要だ。



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