ピデアな男 片野 桂一郎(戸越ミナト店長)

2020.10.13 / 連載

品川区・中延駅にある単店、戸越ミナトはかつては地域の稼働率最下位店舗として後塵を拝していた。
そこに大手パチンコ企業で20年以上勤めたベテラン店長がやってきたことで、エリアの構成は大きく変わることになる。

機種構成を皮切りに営業手法、主要顧客のターゲッティングなど、あらゆる分野を見直し逆転に成功。3キロ圏内では地域一番店として市場を牽引する存在になった。

その店を変えた人物こそ片野桂一郎店長だ。
経営者に対し店舗改革のプレゼンを行い、二人三脚で店を立て直したその手腕に迫る。

出会いによっては、
僕みたいに人生が大きく変わるチャンスがあることを、
この会社で教えてもらいました

 

PiDEA編集部(以下略編) 片野店長は現在おいくつですか。

片野桂一郎店長(以下略片) 現在50歳ですね。

編 ベテラン店長ですね。これまでの経歴をお聞きできますか。

片 現在は約40店舗規模の大手ホールに大学を出てすぐに新卒で入社し、そこで23年間働いていました。

編 何か転機があって転職されたんですか。

片 僕も「この会社でこのまま勤めきるんだろうな」と思っていました。統括課長という重要な役職も与えられていましたし。

編 統括課長とはどのようなポジションなんですか。

片 新台および中古台の取りまとめをしていました。各店舗から上がってくる案件をメーカーさまと調整する役割ですね1都4県のメーカー様の窓口となっていました。

編 順風満帆なように見えますが、なぜ辞められたんですか。

片 一身上の都合です! あと、直接聞いたわけではないので憶測ですが、経営者からよく思われていなかったんでしょうね。パチンコ事業以外にもいくつか事業を持っている会社で、パチンコ部門では僕が2番目に長い社歴でした。その中で、僕くらいしか社長に意見を言う人がいなかったんですよね。だから、うるせえやつだなと思われていたんじゃないかな(笑)。

編 会社にとって都合の悪いことを伝えて直そうとする人って貴重なんですけどね。

片 僕は主張すべきことはちゃんと主張しなくちゃいけないと思っています。別に普段から押さえつけられていた感覚はなかったので、大人しい時は大人しいのですが、譲れない部分があると言ってしまうんですよね。

編 ちなみにどのような意見をしていたのですか。

片 新台への投資ですね。我々パチンコ業界は機械でお金を生み出す装置産業です。そう教わってきたし、今もそう考えています。コストを抑えることも大事ですが、投資を止めた時点で顧客の離反は免れないんです。新台を打つために来店して新台が満席で打てなくても、その店に滞在することはよくあることです。新台の効果はその1台の稼働だけではなく、店全体に与える好影響があるんです。だから新台入替が大事だと主張してきたのですが、「お前ら(パチンコ業界)の常識は世間の非常識だ」と言われ続けました。そういうこともあって、転職を決意したんです。今の会社の社長はパチンコ業界のことも現場もご存知ですので、とても働きやすく提案のしがいがあります。

編 現在の会社に移ってからはどれくらい経つのでしょうか。

片 2018年の11月から店長として勤めています。入社前に何回もお店を見に来ていたのですが、当時は本当に閑散としたお店でした。最初の1カ月は粗利目標と稼働目標をこのくらいの数値を目指してやってくれと言われ、稼働は未達でしたが粗利目標を達成したんです。その時に、「このままだとまずいぞこの店舗は」と決意し社長にプレゼンをしました。

編 どんなプレゼンだったんですか。

片 「このままの状況で営業を続けていたら、とてもじゃないけど来年の5月くらいには月間の粗利目標を達成できなくなります」と今までの業績も振り返りながら、今後の情勢も踏まえてプレゼンしましたね。

編 そんなに苦しい状況だったのでしょうか。

片 朝10時に開店してから、5分くらい誰もこない。土日でも開店直後は2〜3人という状況でした。この状況は厳しいと思いました。

編 そうなんですね。ただ、今のお店をみるとそんなことないですよね。稼働も5割くらいはあるように見えました。

片 プレゼン資料にも書いたのですが、「夢は100人並ばせること」です。それだけのポテンシャルがある店と思って入社したんです、僕は。

編 そのポテンシャルを感じたというのは、どんな部分でしょうか。

片 立地ですね。パチスロの機種構成も、僕が考える最低ラインを超えていたので上げる可能性はあると考えていました。

編 足りていなかったのは?

片 機種構成の中で「マイジャグラー」がなかったんです。比較的パチスロの数字が強かったのに低迷しているのは「マイジャグラー」がなかったからです。

編 でも2年前というと、中古価格も高かったんじゃないですか。

片 当時、1台130万円くらいでした。ただ、中古で購入する考えはなかったので、前職のコネクションを生かしてなんとか台を安く工面できる条件を見つけることができたんです。

編 どんな手段を講じたのか興味がありますが、機種構成の変化は当たったのですか。

片 ど当たりでしたね。最初僕が来た時は店全体のアウトが5000枚くらいだったのが、徐々に上がっていって、ピークは去年の8月で9600枚くらいです。入社時点では稼働率地域最下位だった店舗を、地域一番店に押し上げることができました。エンタープライズの稼働率ランキングでは、一番高い時で都内26位です。

編 機種構成だけでそんなに上がったのですか。

片 こういうタイミングなので、戦術を小出しにしてはいけないと思い、やれることは全部やりました。機械も買う、玉も出す、広告宣伝もSNSを駆使して安くやる。店の投資は大体この3つで配分が決まってくるのですが、社長の許可をいただき、その時最高と考えられる戦術を全部やりました。

編 この戸越というエリアはどんな特徴があるんでしょうか。

片 3キロ圏内の五反田には、ジャランさん、ピートレックマーメイドさんがあります。2キロちょっとの大井町までいけばニュートーキョーさん、ビックディッパーさんがあります。ただ、中でもこの店にとって影響が大きかったのが池上のアローさんです。近隣に住んでいて車をお持ちの裕福な方は、アローさんにとられてしまいました。過去の業績を見るとガクンと落ちている時があって、それがアローさんがグランドオープンした月でした。

編 この辺の方はみなさん流動的なんでしょうか。

片 そんなに流動客層は多くないと思っていたのですが、実際にお店を運営していると思っていたよりも流出している顧客がたくさんいる可能性があったんです。どうやってうちを離反していった人たちを呼び戻すか悩みましたね。

編 どのような仕掛けをされたのでしょうか。

片 「戸越ミナトに行ってみようかな」と思ってもらえる日をつくらないと勝負にならなかったので、出玉の出し方を変えましたね。以前はずっと平たい感じだったのですが、波がなくだだ下がりの状態でした。周囲のお店が出してくるだろう日を予測して、その翌日に強めに出したんです。全体の20%以上は設定6とか、3台塊をつくってさらに1台をどこかに散らすとか、そのうちの1台は1週間6で放置とか。

編 極端な手法をすると、プロ層が集まってきそうですね。

片 狙いはまさにそこで、特定日だけくる人を集めてでもやらないといけなかったんです。それも覚悟の上で、そういう人たちがこない日にも来てもらうためにも1週間放置してみようかなと。社長にはかなり我慢していただきましたね(笑)。

 


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