パチンコと親和性の高かったサラ金業を反面教師に

2020.09.04 / コラム

消費者金融問題に詳しい大学教授が、親和性が高い消費者金融業界とパチンコ業界を対比しながらこう警鐘を鳴らす。

「パチンコはなくても生活できる。自分たちの立場をわきまえないとサラ金業界の二の舞になる」

サラ金の全盛期は2002~2003年で、当時は全国に2万7000社がひしめき合っていた。

サラ金が急成長したのは1990年代初頭のバブル崩壊後。経済的に苦しくなってきた家庭が増える中、93年に自動契約機が導入され、それまで深夜帯に限られていたテレビCMがゴールデンタイムに流されるようになる。

この時期に一世を風靡したのが武富士ダンサーのCMだった。女性専用ダイヤルを設け、主婦でも借りやすくなった。

これらの追い風を受けてサラ金業界は急成長していく。96年~98年はアコム、プロミス、アイフル、武富士など大手業者が相次いで上場した。

この90年代の動きはパチンコ業界と似通っている。

93年にはCR機で確変2回ループの花満開が爆発的にヒットして、主婦層も虜にした。

95年には市場規模が30兆円に達する。

UHF局の深夜帯のみに流れていたパチンコのテレビCMがゴールデンタイムでも解禁され、97年に平和がメーカーの先陣を切って東証一部に上場を果たし、SANKYOも後に続いた。

サラ金業界と同様の日陰者的存在だったパチンコがどんどん表に出てきた。

サラ金が問題視されたのは、ヤクザまがいの厳しい取り立てだった。ほとんど脅迫、恐喝に近く、多重債務者は借金苦から自殺者が出た。

多重債務者問題を野放しにすることはできなかった。弁護士らがグレーゾーン金利廃止を求めて動き出す。2006年1月、最高裁はグレーゾーン金利を認めない判決を下したことから、過払い金利返還訴訟が全国で起きる。大手だけでも返還金は1400億円に上った。

そして、現在、消費者金融業者はピーク時の2万7000社から2000社まで激減している。

「国民生活に影響を及ぼすものは規制を受ける。今のパチンコは国民に遊技を提供していない。パチンコ業界の立ち位置は手軽なギャンブル場。行き過ぎたギャンブル場は臨界点に達していながら業界からは誰も異を唱える者がいないから、行政指導を受ける。パチンコ業界の人たちは、サラ金業界の衰退を見て、自分たちに置き換えられないのか!」

さしずめ、グレー金利ゾーンの廃止が、パチンコ業界では2018年2月1日から施行された3分の2の出玉規制ということになる。

大手サラ金業者はその後メガバンクの傘下に収まり営業を続けているが、ホール業界の行方や如何に。











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