【コラム】90年代のパチンコ屋を回想してみる/CRAナカムラ

2020.05.28 / コラム

●CRAナカムラのぱちんこ泰然自若133
はい皆様、今週もこのお時間がやって参りましたYO!東北からぱちんこ愛を叫ぶ漢、CRAナカムラです!

コロナ禍第一次戦線も終わり、緊急事態宣言が一部地域を除いて解除されましたね!パチンコも一時の袋叩き状態から脱して、業界外からも「この袋叩きはちょっとおかしくない?」という意見も散見できるようにはなりましたが、東京他ではまだ休業要請が出っぱなしの中での開店が、また議論の的になりそうな予感です。でも、さすがに今回も要請を鵜呑みにしての休業は、ほぼほぼ店舗への死刑宣告ですよね。

さてさて、今週も時事話をすると暗くなってきちゃうんでここらへんで切り上げて、別の話をしましょうそうしましょう!

ボクがパチンコ業界に初めて足を踏み入れたのは、1994年の夏。高校では早々に大学受験を終わらせて、ハンバーグレストランでバイトを始めていたのだが、大学に通い出すと家と大学の位置関係的に、バイト先だけが遠い形になってしまって「アルバイト募集!」という立て看板を出していた、大学近くのパチンコ屋に履歴書持参で飛び込んだのだった。

なお、この時点で何故か打ち手としては2年ほど経験があるのは「謎」という事にいておこう。

即決採用された翌日からホールに入ったんだが、今のホールと違うところを挙げていくとキリがない。まずホール内喫煙OK!お客さんじゃなくてスタッフがですよ!当時のホールには両替機が3つくらいあるのが当たり前で、各勤務スタッフが「マイ両替機」を指定して、その上がタバコとかジュース置き場になる。ホールに入ったらまずポケットのタバコとライターを両替機の上に置き、1本取り出して一服からスタート。呼ばれたら火の点いたタバコを一旦両替機の上に置いて、ドル箱を交換しに行ったりスロットの補給したり目押ししたり。で、またマイ両替機の場所に戻って一服再開ってのがデフォルト。吸い殻は踏みつぶしてホールの端にキックも当然デフォルト。

たまにタバコがパクられたりするんだが、元から1勤務につきタバコ1箱支給だし、忘れ物タバコも吸い放題だったので特に気にしない。調子の良い常連から飲みきれないほどジュースを貰うので、飲み物にも困らないパラダイス!両替機の上に並ぶジュースの数を各スタッフで競う、謎のマウンティング合戦も通常。

打ってる最中のドル箱交換は呼ばれて行ったスタッフがするんだが、打ち終わって交換(ジェットはカウンターに1つ)は台車に積んで持っていく所までセルフサービス。どんなにお爺ちゃんお婆ちゃんであれセルフサービス。台車からカウンターに乗せるのはカウンタースタッフがやるなんて超優しい!

お婆ちゃんがドル箱持ってヨロヨロしてるのを見かねて手伝ったら、社員(腕から素敵なお絵かきがチラ見えしてる)から「オマエがやったらオレらまでやらなアカンようになるやないかっ!」と怒鳴られる始末。

そうそう、ほんとに当時の社員さん達って、パンチパーマとかスキンヘッド(眉毛もスキン)とかが当たり前ってかむしろ主流で、さっきも書いたようにカラフルな柄が腕や首筋からチラチラ見えるのも当たり前だった。

だからこそ、客の態度も悪かったがそれ以上の抑止力が働いて、治安はそんなに悪くなかったんだ。ホールに出てるスタッフがそんなんだから、それを束ねる店長はまさに猛者。選ばれしヤバイ人が多かった。実際にホールで暴れた客が事務所に引きずられていって、デーンと待ってる店長にチビるなんて日常茶飯事すぎる話。30分後くらいに全裸でホールに放り出される暴れた客、それを見て爆笑する常連、そんな今とは違う意味での非日常がそこにはあった。

次回、子供に大人気!ナカムラ託児所の巻!

■プロフィール
CRAナカムラ
奈良・愛知・岐阜・広島で店長職を10年歴任。その後、大阪の某チェーン店で統括営業本部長職を経て独立。常に打ち手目線を持ちつつ…と言えば聞こえはいいが、この男自身パチンコするのが三度のメシより好きという重症患者。
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