高橋正人「A-gonに対する妄想」

2015.06.03 / 連載

【水曜】高橋正人のパチンコ運用リアル養成講座

[第51回]株式会社 A−gon(エーゴン)というメーカー

会社住所は、東京都台東区東上野4丁目12−1 K・Tビル2階になる。代表取締役は金子亮太氏が務める。ホームページは、<http://www.a-gon.co.jp>。製造工場は、栃木県佐野市にあるようです。今年2015年5月25日、「日本遊技機工業組合(以下日工組)」に正式加盟となりました。法人設立は、平成11年6月と言うから、16年前に設立されていたようで、「今までどんな事業展開をされていたのだろう?」と気になってしまう私ですが、現在全くわかりません(汗)。

■どんな機種をリリースするのか?
この会社の事業コンセプトが、「約40年ぶりに世に復活させる『手打ち式ぱちんこ』によって、かつての老若男女問わず誰もが楽しんだ遊びへの回帰をめざします」と言っておりますので、まさに「手打ち式ぱちんこ」をリリースする様ですね。第1号機のリリースは2015年秋から冬を目指していると思われますが、製造・販売台数が気になるところです。

■第1号機
【CR A-gon ウイルスブレイカー】と言う機種が、既に検定通過している事から、これが第1号機リリースされるかと思われます。ん!?この名前、聞いたことがありますね。2012年6月に「ジェイビー」から発売された「CRウイルスブレイカー」があります。この関連性を見ても、「SANKYOが絡んでいる!?」と思わざるを得ませんが、まぁその通りなのでしょう。無論、枠はSANKYOもしくはジェービーの枠を基本として、ハンドルは手打ち式に改造されたものなのでしょう。まだまだ、目に見えぬ詳細ではありますが、注目される事は必至でしょうから、今から試打会が待ち遠しいです。

■ぱちんこの歴史の勉強を
2015年という年は、終戦(1945年)から戦後70年の節目の年となる。今現在69歳以下の人は、戦後に生まれた人達になる訳ですが、パチンコの歴史もまた古く、実は1930年頃まで遡る事になるので、今から85年前の事である。この年に初めて、名古屋にて風俗営業店舗として第1号のぱちんこ店が許可された。そして太平洋戦争勃発(1941年)から、ぱちんこ全面禁止(1942年)までの約12年間が、「第一次ぱちんこの歴史」となる。

現在のパチンコに準ずる歴史としては、戦後新たに1946年にぱちんこが復活。その年に「名古屋の正村商会」から発売され、「第二次ぱちんこの歴史」が始まる事になる。その後、正村ゲージが誕生したのが1950年で、そこからが本当のパチンコの歴史とも言えるのかもしれない。つまり、現在のパチンコの歴史はなんと65年の歴史となるのであるから、戦後の復興の歴史と同調した流れでもあった。そして、現在のセブン機にあたる三共・フィーバーがリリースされたのが、1980年(今から35年前)であり、ハネモノの原点「ゼロタイガー」リリースが、翌年1981年になる。

■40年目ってなんだ!?
A−gonの言う〝約40年ぶりに世に復活〟というコンセプトだが、今から40年前と言うと1975年にあたる。私が13歳の少年だった頃の時代である。それはさておき、この分岐点は微妙な表現になるが、1972年に電動式ハンドルが認可された年だから、その3年後には、手打ち式のパチンコ機が発売される事が終了した頃と思われますな。そんな40年のブランクを明けて、今年登場する(かもしれない)「手打ち式パチンコ」だが、実際の〝営業的にどうこう〟言う前に、一度は歴史を体感する事ができ得る訳で、一人の業界人として「ぱちんこの歴史」に一度は触れてみたいモノである。なんか、それなりに設置するホールが現れて、「全国5000台設置!」とかになったりして・・・。

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高橋正人

パチンコ業界歴30年の大ベテラン。ホールや機械について、すべてを知り尽くしたコンサルタント。現在、有限会社トータル・ノウ・コネクションズ代表取締役社長、株式会社エル・イー・オー代表取締役社長。

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