井上幸彦元警視総監が 遺したメッセージ 追悼―警察と遊技業界を結んだ「信頼」の20年
2026.08.15 / 組合・行政「元警視総監」と聞けば、多くの人は威厳ある警察トップの姿を思い浮かべるだろう。しかし、パチンコ業界の人々が思い出す井上幸彦氏は、それとは少し違う。「総監」と親しみを込めて呼ばれ、一人ひとりに気さくに声を掛け、時に人生の師として寄り添った人物だった。警察行政、盲導犬育成、そして遊技業界の健全化。立場は変わっても一貫していたのは、「社会から信頼される組織を育てる」という信念だった。本稿では、多くの業界関係者と親交を結んだ井上氏の足跡をたどるとともに、とりわけ20年以上にわたり深い交流を育んだ東遊商理事長兼全商協会長・中村昌勇氏とのエピソードを通して、その人となりを振り返る。
「危機」の最前線で日本を守った警察人生
1937年、山梨県甲府市に生まれた井上幸彦氏は、京都大学法学部卒業後の1962年に警察庁へ入庁した。イタリア大使館一等書記官、警視庁警備課長、千葉県警察本部長、警察庁警務局長などを歴任し、1994年、第80代警視総監に就任する。
在任中、日本は戦後最大級とも言える治安上の危機に直面した。1995年3月20日に発生した地下鉄サリン事件である。
日本中を震撼させた未曾有のテロ事件。井上氏は警視総監として捜査・警備の総指揮を執り、オウム真理教への一連の強制捜査を指導した。
その経験は後年、井上氏自身の人生観にも大きな影響を与える。
中村昌勇・東遊商理事長へ贈った自筆の掛け軸には、「有事斬然(ゆうじざんぜん)」という四文字が記されている。
「有事には迷わず決断せよ」。その言葉は、オウム事件という極限の危機を経験した井上氏が、生涯を通じて大切にした哲学でもあった。
警察を退官した後も、日本盲導犬協会理事長・会長として社会貢献活動に尽力し、2008年には瑞宝重光章を受章。公職を離れてもなお、「人を支える仕事」を選び続けた。
井上氏とパチンコ業界との縁は、遊技機ではなく「盲導犬」から始まった。
2006年5月、東遊商創立45周年記念式典で講演を行ったことがきっかけだった。翌日のチャリティーゴルフでは、日本盲導犬協会への寄付が行われ、それ以降、東遊商は20年にわたり同協会への支援を続けていくことになる。
講演は一度きりではなかった。
井上氏は毎年のように東遊商の懇親会へ足を運び、乾杯の発声を務めることが恒例となる。業界関係者にとって井上氏は「元警視総監」というより、「総監」と親しみを込めて呼ぶ身近な存在だった。
こうした交流は、やがて業界の未来を左右する新たな挑戦へとつながっていく。
2017年日本盲導犬協会主催のコンペで東遊商の中村理事長に感謝状を送る井上理事長(当時)。写真提供:東遊商
パチンコ業界との20年、人を育てるという信念
2019年。中古遊技機流通制度が大きく変わる中、東遊商は遊技機取扱主任者を教育する第三者機関として「一般社団法人遊技機取扱技能研修センター」を設立した。
初代代表理事に選ばれたのが井上幸彦氏だった。就任会見で井上氏は、
「安心して安全にご利用いただける遊技機を提供するために必要な技術を習得し、不正改造の根絶、適正流通に必要な情報とスキルを兼ね備えたプロフェッショナルを育成したい」と語っている。
ここで注目すべきは、「不正改造を防ぐ」という発想よりも、「人を育てる」という言葉を何度も用いていることだ。
警察人生でも人材育成に携わり、退官後は盲導犬育成、そして遊技業界では遊技機取扱主任者の育成へ。舞台は変わっても、「人づくりこそ組織の未来を支える」という信念は終生変わらなかった。
また、井上氏は研修センターを「全国へ広げたい」と語り、日遊協、日工組、行政、メーカー、ホールが一体となって健全な遊技機流通を支える仕組みづくりを目指した。業界に求めたのは規制ではなく、「社会から信頼される産業」への成長だった。
「総監」ではなく「人生の師」だった
前出の中村氏は弊誌に寄せた追悼文の中で、井上氏をこう表現している。
「私にとって井上総監は20年以上にわたり、公私ともどもお世話になった大切な存在でした」
そして、その後に続く一文が、二人の関係を何より雄弁に物語る。
「私にとっては校長先生のような存在でした。導いてくださる方であると同時に、見守ってくださる方でした。困ったときには静かに寄り添い、迷ったときには一言で道を照らしてくれる。そんな井上総監の存在が、どれほど心強かったか計り知れません」
命令するのではなく、人を育てる。答えを押し付けるのではなく、自ら考える道筋を示す。井上氏は、そんな教育者のような存在だったという。
その人柄は中村氏の家族にも及んでいた。
幼かった娘たちは井上氏を「そうかん」と呼び、実の祖父のように慕った。二人の娘の結婚披露宴では乾杯の発声を務めるなど、公私にわたり家族ぐるみの交流が続いたという。
元警視総監という肩書から想像される厳格な人物像とは対照的に、そこには温かく、人との縁を何より大切にする井上氏の姿がある。
最後の約束、最後の壇上
2026年7月1日。井上氏は88歳でその生涯を閉じた。しかし、その前日となる6月30日、中村氏のもとへ一本の電話が入る。
「早く自宅へ帰りたいんだ」
入院中だった井上氏は、そう語ったという。中村氏は励ますように言葉を返した。
「元気になったら、美味しいものを食べに行きましょう」
井上氏も「楽しみにしているよ」と応じた。
それが二人の最後の会話となった。
中村氏は追悼文で、「また不死鳥のように元気なお姿でお会いできるものと信じておりました」と振り返る。訃報に接した時の衝撃は計り知れなかったという。
その言葉からは、長年にわたる友情の深さがにじみ出ている。
井上氏が東遊商で最後に公の場へ姿を見せたのは、2026年5月7日の通常総会懇親会だった。
実はその数カ月前から体調を崩し、予定していたスケジュールをすべて取りやめていたという。それでも、この日は違った。
「他ならぬ中村理事長からのお招きだった。これまでの二人の交友関係を考えれば、どうしても出なければならないと思った」
そう語り、自らの社会復帰第一号として東遊商の壇上に立ったのである。弊誌もその場にいたが、会場の誰もが以前と変わらぬ「総監」の存在感を感じたはずだ。
誰よりも約束を大切にする。人との縁を大切にする。それこそが井上幸彦という人物だった。
最後に遺したメッセージ
乾杯のあいさつの終盤、井上氏は一つの言葉を紹介した。
「あした死ぬかのように生きよ。永遠に生きるかのように学べ」
インド独立の父、マハトマ・ガンジーの言葉である。
井上氏は、この言葉をこう解釈した。
「今日という一日を大切に生きること。その積み重ねが、人を成長させ、覚悟を生む」
それは乾杯のために用意した美辞麗句ではなかった。
地下鉄サリン事件という未曽有の危機に直面し、「有事斬然」という信念を胸に決断を重ねてきた警察人生。そして退官後も、盲導犬育成や遊技業界の人材育成に力を注いできた人生。そのすべてを凝縮したような一節だった。
結果として、この言葉は東遊商での最後のスピーチとなった。偶然とはいえ、その重みは計り知れない。
写真提供:東遊商
【井上総監が遺したもの】
「信頼」は制度ではなく、人が築くもの
遊技業界と警察。かつては距離のある存在と思われがちだった両者の間で、井上幸彦氏は「信頼」という橋を架け続けた。
その方法は、決して特別なものではない。人と向き合い、約束を守り、人を育てる。
その積み重ねが、東遊商との20年にわたる交流を生み、遊技機取扱技能研修センターという仕組みを育て、「総監」と親しまれる関係を築いた。
パチンコ業界は今、社会からの信頼を高めるために、コンプライアンスやガバナンス、依存問題への対応、地域貢献など、さまざまな改革を進めている。
その根底にあるべきものは何か。井上氏は、自らの生き方を通して、その答えを示してくれたように思う。
「有事斬然」
いざという時には迷うことはなく、覚悟を決めて行動する。
そして、「あした死ぬかのように生きよ。永遠に生きるかのように学べ」
この最後のメッセージを胸に刻みながら、業界が社会との信頼を積み重ねていくことこそが、井上幸彦元警視総監への何よりの追悼になるのではないだろうか。
井上幸彦(いのうえ・ゆきひこ)/1937年(昭和12年)11月4日、山梨県甲府市生まれ。1962年(昭和37年)に京都大学法学部を卒業後、警察庁に入庁。在イタリア日本国大使館一等書記官、警視庁警備局警備課長、千葉県警察本部長、警察庁警務局長などを歴任し、1994年(平成6年)に第80代警視総監に就任。1995年に発生したオウム真理教による地下鉄サリン事件では捜査の指揮を執った。その後、警察庁長官狙撃事件の責任を取り、1996年(平成8年)に退官。退官後は公益財団法人日本盲導犬協会理事長などを務め、2008年(平成20年)に瑞宝重光章を受章した。2019年(令和元年)には一般社団法人遊技機取扱技能研修センターの初代代表理事に就任し、遊技機の適正流通と人材育成に尽力した。写真提供:公益財団法人日本盲導犬協会
ヘッダー写真/2026年5月7日の東遊商通常総会懇親会であいさつをする井上元警視総監。公の場に立った最後の姿となった。
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