[開発者インタビュー]4号機「初代北斗」はこうして生まれた(※3/23一部追記)

2023.03.23

「Cタイプでやらせてもらえないと作らないですよ!」

初期販売台数5万台。当時としては決して多くはなかったが、1週間ごとに1万台以上の追加注文が入り、その状態が1年間続いた結果、販売総台数は62万8000台。この功績を1機種で成し遂げた機械が「初代北斗の拳」である。そんな偉大な機械を開発した人物は、実はまだSammyの開発にいるのである。(※3月23日、文章を一部追加しました


編 沢田さんが初代「パチスロ北斗の拳(以下略初代北斗)」の開発者ということですが、具体的にはどのような部分をご担当されたのでしょうか。
沢田智(以下略沢) 僕は企画とプロジェクトリーダーという立場でした。入社して5年目28歳の頃でした。

編 初代北斗を開発するまでにはどんなキャリアを積まれてきたのでしょうか。
 最初はパチンコ開発担当だったんですよ。パチンコの開発は2年ちょっとやって、「CRガメラ」(2001年)と「CRUFO KIDS」(2001年)という機械を担当して合計で23000台ほど導入されました。そこからたまたまパチスロの開発へ異動になったのですが、当時Sammyではドットの「獣王」(2001年)が結果を残していて、人気機種を作った同期や同世代の人たちはみんな会社の幹部になっていきました。その一方で僕はヒット作に恵まれなかったんです。で、売れずにいた時に、現在の専務が「お前北斗の拳知ってる?」と聞いてきたんです。北斗の拳はトイレの棚に全巻置いて毎日読んでいたから知っていると。それで担当することになりました。

編 あの時代、AT機やST機が全盛期の頃で、なぜCタイプという方式を選んだのですか。
 北斗の拳の案件とは関係なく、元々やりたいことがあったんですよ。当時の4号機は、30Gのフリーゲームと3回のRBというルールがあったのですが、Cタイプで10回のフリーゲームとRBを繰り返せばもっと出玉を伸ばせるなと思っていたんです。

編 ということは、コンテンツに合わせたゲーム性よりも、Cタイプというアイデアの方が先だったんですね。
 そうです。「Cタイプでいくらでも伸びるボーナス」という謳い文句で企画書を書きました。当時映像の担当が大先輩でちょっと怖いタイプの人だったのですが、そこに北斗つけたらどうなるんだろうと走り始めました。最初は話し合いで「ゲームみたいにつくっていこう」となりました。シンを倒したら次はサウザーを倒して、さらにジャギを倒して、最後にラオウを倒したらボーナスにしようと。ただ、「シンやサウザーを倒してなんで何もないの?」となって、どうしようとなった際に「地獄」「通常」「天国」「前兆」などのモードという概念が生まれました。それぞれのステージとモードがリンクしやすいのでそれを予測しながら遊んでいくゲーム性にしました。

編 当時の開発こぼれ話は大変興味深いです。
 他には、スイカって黒王の鞍がモチーフのデザインじゃないですか。映像担当の大先輩がラオウが最強なので、スイカを引いたらいい状態に行かせようとしていたのですが、僕がチェリーの方がサミーの象徴であると考えていたので当たりのメインはチェリー、しかも中段にしました。その他には、バトルボーナス中の出し方にも30個のモードを検討していて、例えばモード29の時は29連チャンするみたいなことを考えていたんです。ただ、当たりを先読みすることが試験機関で突如NGになってしまったので、66%から89%の4つの継続率で割り振ることにしたんです。これは偶然の産物ではありましたが、30連までしか出ないところを無限に引き伸ばすことができました。一発勝負ではありましたが、結果的にヒキのいい方がうまく出してくれたみたいです。

編 一発勝負って、持ち込み1回で適合したのですか。
 そうなんですよ。当時は、4.5号機から4.7号機へとちょうど移行するタイミングで、どのメーカーも持ち込みまくっていて、試験を受けることすら難しい状況でしたが、なんとか1回で適合となりました。あの時適合していなかったら初代北斗はこの世に存在しませんでした。

編 運に恵まれた部分も大きかったのですね。
 昔から悪運は強い方で大学を卒業する時に単位が足りなかったのですが、なんとか教授に頼み込んで単位をもらって卒業出来ましたし、Sammyも卒業手前の時期の二次募集で内定をもらえたんです。でも、ギャンブルの引きだけは弱いんですよ(笑)。

編 大変失礼な話ではありますが、売れてない開発者がCタイプで作ると言い出して反対意見はなかったのでしょうか。
 今となっては入社5年で機械を任せてもらえることはなかなかないことかもしれませんが、当時はそこまで珍しいことではありませんでした。たしかに、直前に出た「キングキャメル」(2003年)も奮わなかったし、正直同時期に出た他機種には勝てる気がしなかったのですが、上司と開発本部長が並ぶ場で、「これ(Cタイプで)やらせてもらえないと作らないですよ」とノリと勢いで啖呵を切りました。今の若い子たちは「一旦考え直して〜」とかやるけど、それまでの経験上、自分の中で良いと感じた核となる部分は変えたくなかったんです。

編 結局、最終的には何台販売したのでしょうか。
 一番最初の販売目標としては5万台くらい売れて御の字という感じでしたが、最終的には62万8000台だったと思います。

編 5万台の計画が62万8000台に増えていくのってどういう感じだったんですか。
 社内ネットワークで増産などの情報を共有する欄があるのですが、そこを見ると1週間ごとに1万台以上の増産がかかっていく感じで、「どこまでいくんだろう」と他人事みたいに感じていました。自分自身、5万台いけば十分と思っていました。

編 ところが蓋を開けてみたらユーザーからかなり受け入れられていましたね。
 演出などでモードのにおわせ方とか、リプレイとか4チェとか、活躍しない小役たちをどうやって楽しませてあげるか。それをするにはまず各モードを分かりやすいようにしてあげること。第三停止振り向きとか、オーラの大きさとか、いろんな情報で、「今どこにいるんだろう?」と妄想させるのが好きだったんですね。状況を確定させるというよりは想像してもらうこと。こういうことを考えて作りました。

編 当時はAT機もありましたけど、ST機が中心で、特定のゲーム数を狙っていく機械も人気でしたが、それをしなかった。
 自分がゲーム数嫌いだったからかもしれません。5号機の「転生」も担当しましたが、あれはゲーム数になっているけど、いろいろと考えさせる要素がある。妄想する余地を残したかったんですね。

編 「妄想する余地を残す」というのは、現在の開発にも役立ちそうですね。
 これは時代の差もありますのでなんとも言えません。妄想できる余地の作りをしたとしても、業界全体が当時ほどの稼働があるわけではないですし、今は皆さんスマホを見ながら遊技される方も多く、何か騒がしくなったら画面を見るみたいな遊び方になっています。状況は違いますよね。

編 結構ご自身の直感を信じるタイプなのですね。
 自分好みの部分もありますが、王道をいきたくないというか、人とは変わったものを作りたいと常に思っているんです。トレンドを抑えて売れ線をつくればいいかもしれないけど、「結局あれと同じだよね」となってしまう。新しいもので面白いと思ってくれれば、そっちの方がより深く楽しんでもらえるんじゃないかと思っています。

編 開発で大事にしていることはなんですか。
 くだらない、アホじゃないかと思うくらいの発想を常日頃、様々な角度から考えることで、ダイヤの原石が1つでも生まれてくれればいいんじゃないかと思っています。

編 昔からそういう、くだらないことを考えるのは好きな方だったんですか。
 そう言われればそうかもしれません。小さい頃に鬼ごっことかで遊ぶじゃないですか。ああいうのも、ただ捕まえるだけじゃなくて、そこに1つでもルールにアレンジを加えるとかして遊んでいましたね。だるまさんがころんだもただやるだけじゃなくて、壁登ったり降りたりコースを入れてみるとか。パチンコやパチスロってギャンブルと言われているしそういう部分もあるけど、まずは「遊び」ということで楽しんでもらわないといけないと感じています。


 

 サミー株式会社
PS研究開発本部 PS企画セクション プロデューサー 沢田 智氏

インタビュー:PiDEA編集部

 

 

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