ピデアな男 佐藤武司(マルハン木場店 店長)

2020.02.17 / 連載

北海道釧路にあるマルハン木場店は、全国318店舗のマルハンの中でも、地域一番店への難易度はトップクラスといえるかもしれない。その理由は、全国大手と地場強豪が入り混じり、供給過多と言えるほど激しく地域一番店の座を争っている市場だからだ。
佐藤武司店長は、「本社で人事・営業本部を経験したからこそ、俯瞰して店舗を見られるようになった」と語る。苦難に立ち向かう店長の考えとは。

目指すのは世の中、社会から認められる店になること
日本一幸せな家族をつくることです

PiDEA編集部(以下略編)まずは佐藤店長の経歴をお聞かせいただけますか。

佐藤武司店長(以下略佐) 2006年に地元にあるマルハン岩見沢店へ20歳でアルバイトとして入社し、半年後に社員登用で社員になりました。その後、数店舗ホールスタッフとして転勤し、今でも北海道マルハンで高稼働率を維持し続けている柏林台店のグランドオープンを経験した後に函館港店でマネージャーになりました。

編 本社でのご経験もあるんですよね。

佐 はい。23歳でマネージャーになってからは、「30歳までには店長になる」ことを目標として、函館港店・苫小牧店・美しが丘店・苗穂店と経験し30歳で店長になりました。店長として働きながら、10年後の40歳を見据えた時に「営業本部長」になっていることを目標に設定しました。

編 そこから本社勤務につながった経緯は?

佐 マルハンでは新任管理者向けに社長や人事本部長が直々に講師を務める「トップガン研修」という研修が存在します。要約すると人生理念研修のようなイメージなのですが、自身を振り返り内省し、未来を創造して目標を再設定するような研修です。その目標設定シートには10年後自分が営業本部長になっていること、そのためには現場経験だけで昇進していくイメージはなく、本社経験を経るというプロセスを組んでいました。
その目標設定もあってか、人事本部長から「新卒採用の責任者をやってみないか」というオファーをいただきました。そのオファーは私にとっては想定外の話だったので驚きました。当時の人事本部長は1995年マルハンパチンコタワー渋谷(以下略MPT)を立ち上げた店長でした。MPT出店にまつわる社内向けの教材映像があるのですが、その映像を見て私も含め人事本部長に憧れて入社した社員も多かったと思います。
そのような方から高卒中途入社の私にオファーがあったことに驚きましたが、キャリア形成の面からしても断る理由はありませんでした。

編 北海道から東京への転勤でご家族からは何もなかったですか?

佐 妻が4人目の子を妊娠している時期でもあったのですが、妻もマルハンで勤務していたので人事本部長のことはもちろん知っており、私の目標設定も知っていたので背中を押してくれました。

編 ハードルはあったけど、佐藤店長にとって理にかなった異動となったわけですね。

佐 そうですね。なぜ学歴もない私が新卒採用として人事に選ばれたのかを考えました。
私には論理的に会社概要を説明するようなことはできません。ただ、社長と人事本部長が私たちに語ってくれた夢やマルハンの未来に関しては誰よりも共感していたという点においては自負しており、「この熱き想いを伝える」。情熱的に想いを伝えることにおいては私が適任かもしれないと前向きに考えるようになりました。
学生たちがマルハンの未来と夢に共感して入社を決意してくれる。でも入社してからイメージと違ったということで早期離職が増えることがないようにだけはしたい。
私は夢を語りながらも「今」のリアルなマルハンも伝えていくことを大切にしてきました。今のマルハンは、目指している理想のマルハンにはまだまだ道半ばである。だから共に未来のマルハンをつくっていこうと。学生たちには本音で本気で想いを伝え続けてきました。

編 そこからどのように現場に復帰したのですか。

佐 人事に異動して3年間は本社で勤務させていただき現場に戻るという私のキャリア形成に人事も共感はしてくれていました。1年間、新卒採用に携わらせていただき学生たちに夢を語り続けてきましたが、内定者たちに語ってきた夢、してきた約束、地域の人々から愛される店舗・会社をつくっていくという想いは日に日に強くなっていきました。
私の人生理念は、「日本一幸せな家族をつくる」ことです。北海道に妻を残し、出産と産後4人の子育てを任せてきた自分に自問自答し続けた結果、現場復帰をさせていただきたいと志願している自分がいました。
すでに1年間現場を離れていたので営業統括部という部署に席を置き、7カ月北海道全体の店舗と市場を学んだ後に木場店へ着任しました。

編 この木場店はどういうお店なのですか。釧路の状況を調べたところ、全国大手も多いし地場の強豪ホールもたくさんあります。ぱっと見で簡単なエリアではないなというのは感じたのですが。

佐 マルハン木場店はオープンしてから20年になる店舗で、常に競合店舗と地域一番店を競い合い続けている店舗で、社内でも難易度が高い店舗という位置づけです。

編 読者の方は釧路市・釧路町の店舗を検索してみてください。どれだけ競争が激しいかが分かるかと思います。

佐 常に集客優先で営業をし続けているので収益を安定させるのも難しい店舗です。当店の歴代店長は、私から見ても数多くいる店長の中でも尊敬する方々が歴任されてきた店舗でもあります。並々ならぬ覚悟を決めて着任しました。

編 そこまで簡単な店舗ではないのはなぜなのでしょうか。

佐 「曜日・日にち」で動くお客さまが他の地域と比較しても非常に多く、老若男女問わず、その日に1番遊びやすい店を選んでいる印象です。比較的腰が重いであろう年配のお客さままで当たり前のようにそのような動きをするので「出玉感」や雰囲気では店舗選定をしていただくことができない市場だと感じす。
私が着任する前、店舗の裏に新しい道路が開通し信号もでき釧路駅方面からの導線としては交通手段がかなり改善されたのですが、中々思うようにその道路を利用してお客さまがご来店していただけていないように感じていました。
私がまず最初に着手したのがそれを認知させること。ドローンで空撮をし、店舗プロモーション動画を作成してYouTubeを始めとしたweb広告を展開したのです。

編 佐藤店長はどのような店舗をつくっていきたいのでしょうか。

佐 マルハンが目指すトータルクオリティーサービスを実現していきます。パチンコ店として遊技台・出玉で勝負していくことに変わりはありませんが、私は、新卒採用責任者として「業界を変える」「あらゆるサービス業の中でトップクラスのサービスを提供する」とマルハンが大切にしているマルハンイズムを学生たちに語り約束してきました。難関と言われている木場店でマルハンイズムを体現し、地域の人々に愛される店舗をつくっていきます。

 


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