立志伝 今西慶(平川商事株式会社/アローグループ 取締役副社長)

2019.12.12 / 連載

元オリンピック候補選手が
パチンコ業で追う「理想」

 


パチンコ事業とともに柱として成長している多角的な事業


大阪府を中心にパチンコホール22店舗を展開する平川商事株式会社。同社は事業の多角化にも力を入れており、ホテル&レストラン、ゴルフ、アミューズメント、不動産業、アパレルなどその業種は多岐にわたる。
創業は1957年。先代の社長(故人)が大阪で製鋼原料販売業を興した後、1973年にパチンコ店を開業した。現在、年間売上(グループ合計)は約1000億円に上る。

同社は早くから事業の多角化に乗り出しているが、本格化したのは「太子カントリー倶楽部」を所得し、ゴルフ場の経営を始めた2003年から。
多角化を進めていった理由について取締役副社長の今西慶がこう話す。

「当初から弊社社長の平川晴基が漠然とした業界不安を抱えていました。パチンコ事業は許可営業であることや、換金問題がグレーのままである中で、果たして将来的に伸びていけるのかと。そうした不安を解消するためにパチンコ事業だけに頼らず、他にも柱となる事業をいかに作っていくかということを実践してきました」

そして、現状ではパチンコの売上規模には及ばないものの、事業として根付き、ノウハウもかなり蓄積されてきていることなどから「1つの柱として成長している手応えがある」という。

「売上額や利益額で比較すればパチンコ事業はケタ違いに大きいので、8割〜9割を占めるのですが、その事業に合わせた収益構造で見ればそれぞれが利益を出しており十分にやっていけています」

特に順調なのがゴルフ関連事業で、ゴルフ場経営に加えてゴルフスクールも伸びている。また、ホテル事業は現在、客室数の少ないハイグレードなリゾートホテルを運営しているが、同時進行で今後は客室数の多いビジネスホテルなどを視野に入れているという。

「パチンコという業種は特殊ですからお客さまと交流する機会は少ないと思います。でも他の業種をやることで新卒以外のキャリア入社、例えばホテルやゴルフ専門の人たちが入ってきます。すると物の見方や数字の捉え方の違い、業種による重視する点の違いなどに気付かされます。これを当社の企業文化と融合し、どう活かしていくのか将来的な期待感があります」

 

教師を辞めて民間で働く 道を開いた2人の金言


今西が平川商事に入社したのは1994年、25歳の時。きっかけは奈良県にある天理大学教授の紹介だった。
天理高校時代から体操で頭角を現していた今西は、オリンピック代表候補生として日体大に進学、卒業後は実業団で3年間を過ごした後、現役を引退。郷里の高校で保健体育の教職に就いていた。

「当時のパチンコ経営企業は今と全然違っていて大卒で就職する方は少なかったと思います。それでも弊社の平川は新卒採用を意識し始めて動き始めていたところでした。その当時、私も教員を続けていくことに悩んでいました。子供たちと接することなど楽しくやりがいがあった反面、ずっと人と競争する世界の中で生きてきたので、このままの人生を歩いていくことに何か物足りない気持ちがあったんです。それよりも体操しかやったことのない自分がどんなことができるのか、将来どんな可能性があるのか。それを民間で試してみたいと」

そんな今西と平川のニーズはマッチし、話はスムーズに進んだ。
「入社の決め手は社長の平川が私の母親に会ってくれたことでした。片親だった母親は、私が教員として奈良に戻ってきて一安心という感じだったんですが、急に『パチンコ屋で働く』と言い出した息子を心配していました。そんな母に対して、平川は『何も心配いらない。頑張る気があればウチは大銀行よりも安定している』という趣旨の話をしたんです。その言葉のインパクトは大きかったですね(笑)」

入社を決めた今西は「何にも言わず3年間我慢してほしい」と平川に言われた。また、大学時代の恩師であり、全日本ナショナルチーム時代のコーチでもあった元オリンピック体操の金メダリスト・監物永三や具志堅幸司からは「教員や指導者の道を行くのであれば、今までの功績や実績が肩書きになって食べていけるだろう。しかし、全然違う道に行くなら過去のことはすべて捨ててから行け」とアドバイスされたという。

「今思えばあの時のそんな言葉がなかったら、変なプライドを捨てきれずあちこちで衝突もしたでしょうし、今ここにはいないかもしれませんね」と今西は噛みしめる。

 

大きな転機となった2軒の旗艦店の出店


入社から25年が経ち、今西にとって大きな転機となったのが駅前型の「アロー浪速店」の出店である。2004年に大国町駅近くの好立地に1200台の大型店を出したことで同社の方向性を内外に示した。

「難波の駅近くにもかかわらず、店舗の上に郊外店並みの650台分の立体駐車場を設けました。当時はそんな店舗は全国的にも珍しく、かつ駐車場が少ないエリアにも関わらず、利用をフリーにしました」

一般的にはそんな場所であれば、店舗で何らかの証明をしてもらわなければ駐車ができないなど制限が付く。しかし、同社ではそんな制限を付けることはなかった。時には来店客でないと思われる人も駐車されるが、それを黙認するケースも多いという。

「その日は当店のお客さまではないかもしれないが、別の日にはお客さまになっているかもしれません。また、地域との共存というのも私たちの役割ではないかと」

その店は大成功し、当時は日本で5指に入る稼働をしていたという。また、同業者も全国から見学に訪れ、駅前の大型店で駐車場付き店舗の走りとなった。
また、2007年に大阪難波に出店した大型複合商業施設「namBa HIPS」も大きな転機といえる。

「とてもいい場所に自社ビルの施設を建てられた上、フリーフォールが付いて話題性もありました。ただ機械トラブルが2度起こってしまい『もう3度目はない。会社の信用に関わる問題だ』と判断し、フリーフォールは撤去してしまいました。フリーフォールを含めてランドマークを作るという計画で長い年月と資金(約160億円)をかけて出来上がったビルでしたからとても残念な思いでした。それでも、事故が起こる危険には代えられないと、パッと切り捨てた会社の姿勢は正しかったと思っています」

同社にとって2003年〜2010年は旗艦店ともいえるこの2店舗の他、前出のゴルフ場の取得をはじめ、さまざまな事業を立ち上げている。
本社の営業本部長という職にあった今西は、太子カントリー倶楽部の支配人と奈良健康ランドの総支配人も兼任しており「ノイローゼになるほど忙しかったです(笑)」と振り返る。 

いかにお客さまの期待に応えイメージに植え付けるか


新規の事業を含めて「何でも勉強や」という気持ちで取り組んだという今西は「任されたことすべてにやりがいがありましたし、その当時の経験があるからこそ今では何をやるにしても『まぁ、何とかなるやろう』という気持ちでそれほど不安はありませんね」という。
特にM&Aであれば「周りに専門家は必ずいるし、やることはみんな同じです。昨年から始めたアパレルも同じ。弊社の商売に対する考え方や方針をどう当てはめていくかというだけです」という。

そんな同社の企業理念は心豊かな社会を創造し、社会の発展に貢献する企業を目指す「豊かさを創造する企業へ」。ビジョンはパイオニア精神を持って、最前線に立って新しい未来を切り開くという意思を示す「On the front line」だ。
そこで改めて平川商事が運営するパチンコ店「アロー」の営業面での特徴を聞いてみた。

「僕が営業面でずっと言い続けてきたことは『お客さまに嘘をつくな』ということです。パチンコ店は新装開店や昔で言えばイベントなどお客さまが期待する時期があります。その時に期待を裏切るのは絶対にダメだと。でもパチンコはなかなか意図的にはいきません。出玉は計画通りにはいきにくいものです。でも新装のチラシが入れば〝出るだろう〟と期待して来られます。その期待に応えられないことはあります。でもその期待に応えられなかったことがお客さまのイメージに残ってしまう。だから期待してもらっている日はできるだけ期待に応える。これをずっと強調してきました」
さらに、こう続ける。

「パチンコはある意味、イメージ産業でもあると思います。お客さまにどう思われているか。あそこは出ないとか出るとか。僕らでも他店をパッと見て出ているのか出ていないのかという判断は難しいです。各台計数機が普及して余計に分かりにくくなりましたが、ドル箱をたくさん積んでいる店であっても出ているか否かは数字を見るまで分かりません。つまりお客さま個々が何玉使って何玉出たかというだけなのです。結局、出る出ないはお客さま1人ひとりのイメージでしかないと思います。そのイメージを通常営業と組み合わせながらどう作っていくかというのが一番難しいところです」

さらに、不満を抱いて帰る顧客に対して「不満をいかに和らげるか」が重要として、「接客も含めた店内環境の整備など、勝ち負ではないサービス業的要素の強化に努めている」という。
例えば大手法人同士で比較すれば、最低限必要な経費があり出玉率はほとんど変わらない。だからこそ「店のイメージは玉が出る出ない以外の別な所で作られている部分が大きいのではないでしょうか。それは日々のほんのちょっとしたことの積み重ねだと思います」と話す。

 


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