立志伝 中原竜太(つばめグループ 専務取締役)

2019.11.15 / 連載

「ピンチはチャンス」
本業に特化した老舗企業が進める変革と挑戦

 

 

1998年、ホールの過渡期に育成した市場分析力


福島県を中心に11店舗を展開するつばめグループ。1952年、いわき市植田町にパチンコ店を開業して今年で68年になる老舗企業だ。グループは中原商事、つばめ産業、中原ナレッジの3社で構成され、それぞれ6店舗、4店舗、1店舗のパチンコ店を運営している。
今期のグループ全体の売上高は約500億円。ここ数年、決算関係の数字は上昇傾向にある。その要因は4〜5年前から積極的に行ってきた「先を見据えた」機械台投資である。あるメーカーの指標によれば同グループの店舗あたりの資産価値はかなり上位に位置づけられているという。

様子見をする法人が多かった中、顧客目線に立ち『今後間違いなくヒットする機械だろう』という先見の明をもって投資したことが、現在の右肩上がりの業績の大きな要因だ。
創業者から数えて三代目になる同グループの専務取締役・中原竜太がこう話す。

「この業界で働き始めた1998年当時、社会的不適合機の撤去と5回リミッター機への移行、等価・高価交換、無制限営業の普及などパチンコ業界の過渡期でした。それ以前は遊技機さえあれば出店できたし、お客さまも集まってきました。しかし、そんな他力本願はもう通用しません。ですから絶えず考えながら経営努力をする習慣がつきました」

1997年をピークに店舗数は減り続け、400店あった福島県内の店舗は現在、200店舗に満たない状況になっている。

「厳しい時だからこそしっかり戦略を練って、市場での支持率を高めるために細かい戦術を実践していきました。そこで重要視したのは市場の分析。今では当たり前のことですが、当時は市場を分析するホールはほとんどなかったと思います。周辺のホールの頭取りをして、『勝った、負けた』のレベルでしたから」

そんな中で、中原は「なぜこの店が強いのか」「その理由は何か」を徹底的に分析し、自店に応用するとともに競合店対策を行っていったという。例えば機種構成。家業に戻る前は一発台や権利モノ、アレパチなど多様な機種構成ができたが、それらがなくなった中で、人気機種をどのくらい導入するのか、この市場の中でどんな機種が受けるのか、適正な台数はどの程度かを分析し、判断していった。

 

幼いころから変わらない大衆娯楽への愛着と情熱


「若い時からパチンコが大好きでしたから、当時から頻繁にいろんなパチンコ店を観に行っていたんです。旅行先でもちょっと時間があれば必ず覗いていました。ですから機種構成などは少し見ただけで頭に入り、記憶に残るんです」

今日のようなデータ公開がなかった時代、その能力は十分に役立ったようだ。

1976年生まれの中原は、グループ1号店となる「つばめホール植田店」の2階で育った。
物心がついてからはパチンコ店内が遊び場で、後を継ぐことにはまったく抵抗感がないどころか、自らやりたいと願っていた。その当時からの愛着と情熱は今も変わらないという。

中原にとって忘れられない思い出が、30数年前、母方の祖母に連れられてよく行ったパチンコ店内での一コマだ。
まだ幼かった中原はヒコーキ台を打つ祖母の隣に座り、じっとその姿を眺めていたという。役モノの動きに一喜一憂する姿、指を火傷するのではないかと心配になるほどタバコを短くまで吸う姿、出玉をお菓子に交換してくれる姿……。それが今でも脳裏に焼き付いているという。

野球・パチンコ・プロレス観戦が代表的な庶民の娯楽だった頃、あの国民的漫画「サザエさん」にもマスオさんがパチンコを打って嬉しそうに景品を持ち帰るシーンが描かれていた。

中原が家業に戻ったのは高校卒業後、ホール経営に役立たせようとコンピューター関係の会社に3年間勤めた後、21歳の時だった。

「何の商売でもそうですが世の中から必要とされなくなってくると衰退します。その意味でパチンコ業界はいま、大きな壁にぶち当たっています。ギャンブル依存症対策という大きな課題を行政から与えられていますが、これを乗り越えることでまた昔のような大衆娯楽に戻れるのではないか。そのチャンスなのだと思います」

 

 

ピンチへの向き合い方で企業の将来性が変わる


パチンコ経営に携わり23年、中原は業界の変遷をどのように見ているのか。

「業界の歴史は規制の繰り返しであり、それとの向き合い方が大事です。ピンチはチャンスといわれるように、チャレンジ精神を持ってうまく乗り越えられれば人としても企業としても成長できます。チャレンジしても必ずしもうまくいくわけではありませんが、行動することによっていろんなことが見えてきます。なぜ失敗したか、次に成功するにはどうすればいいか。そのように前に進む努力をしている企業が生き残っていくのだと思います。これからもいろんなことがあり、心が折れる瞬間も多々あると思います。その時どう向き合うかで企業の将来性も変わってくるでしょう」

ピンチの時、中原はこれまで多くの人に相談し、いろんな意見を聞くことを心がけてきたという。

「混迷の中では何が正しいのか分かりにくいものです。そんな時にはいろんな人の意見や感性を受け止めて、多くの選択肢の中から自分の中に落とし込んでいく。そうすることで今を乗り越え、次の時代に行けるのではないかと思っています」

とはいえ、パチンコ業界内の業者間などで交わされるのは〝負のオーラ〟をまとった話が多い。「店舗を閉めたい」「他の事業に転換したい」などなど。

「それでも足元を見ればまだ十分に可能性がある業界だと思います。他業種に比べ独自のノウハウや価値観が必要という意味で参入障壁が高く、守られた市場ではないでしょうか」

 


続きは11/15発行のPiDEA Vol.159で

 

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