立志伝 内ヶ島隆寛 株式会社高尾 代表取締役社長

2019.07.05 / その他情報

内ヶ島隆寛

株式会社高尾 代表取締役社長

 

遊技業界にはかつてない逆風が吹き荒れている。先の見えにくい環境の中で、業界の進むべき道とは何か?
本コーナーでは、数多くの危機や困難を乗り越えてきた業界のトップ・リーダーたちの足跡をたどることで、未来への指針を探っていきたい。
(文中敬称略)

「いかに喜んでもらえるか」
その目標に向け変化とチャレンジを続ける

 

全19メーカー中19番目
遊技機生産能力は日産100台

 

2018年11月、遊技機メーカーの老舗・高尾の社長に就任した内ヶ島隆寛。

 

創業者であり父である正一が家業としてパチンコホールを経営していたことで、内ヶ島は子どもの頃からパチンコには慣れ親しんできた。幼少期の1960年代は営業中に店内で子どもが遊んでいても誰も咎めないようなおおらかな時代だった。
そんな環境で育った内ヶ島だったが、大学卒業後にはシステムエンジニアの道へ進んだ。就職に当たってはパチンコ業界で働くことも、家業を継ぐことも「特に意識していなかった」という。
転機となったのは1991年、父・正一の死去だった。

1950年、正一は八百屋を営んでいたが、店舗の一部を改築してパチンコホール経営に乗り出した。その一方で、パチンコ遊技機を製造するメーカー・高尾製作所を開業。
ホールとメーカーの二足のわらじを履きながら、遊技機メーカーの組合・日工組の要職を20年余り務めるなど、パチンコ業界の草創期を支えた重鎮の一人である。

業界発展に尽くしてきた父への悼みと、兄・敏博からの「会社を手伝ってくれないか」との誘いが内ヶ島を動かし、1993年、30歳の時に高尾に入社した。
父の会社を大きくしたいという思いが強かった内ヶ島は、当時をこう振り返る。


「入社した当時はメーカーが19社ありましたが、会社の規模も評価も19番目という感じでした(笑)。遊技機も日産100台が精一杯という能力しかありませんでした。ですからそんな会社をもっと大きくしていこうという志を持って入社しました」

外注先の対応に発奮し
強化した開発体制

 

93年の入社当初、パチンコ業界は連チャン現金機ブームの終盤を迎えていた。1980年代後半から90年代初頭にかけてメーカー各社はこぞって連チャン機を市場に投入。早朝から大勢の遊技客が目当ての台を打つためにホールに押し寄せるなど大ブームを巻き起こした。
しかし、92年にCR機が登場。CR機の普及と入れ替わるように連チャン機は市場から姿を消していったのである。そんな時代背景の中で、内ヶ島はパチンコメーカーで働き始めた。

「入社した直後は、工場でガラス枠の穴を開けるなど現場作業に従事していました。その後、開発を強化していく目的で当時2人しかいなかった開発部門に、私も加わりました。当時は遊技機の開発といっても担当する人も少なく、メインプログラムを含めほとんどが外注任せでした。納得がいかなかったのが、その外注先は弊社と別のメーカーそれぞれの機械を作っていたのですが、性能面や面白さが露骨に違っていたんです。別のメーカーの出来の方が断然よかったんです。それを何とかしたいと、遊技仕様や品質など細かい部分を私たちでしっかり考えて外注先に依頼する体制をつくったのです」

それ以降、高尾の機種には内ヶ島が納得できる面白みが加わり、個性も出始めていったという。

 



「カイジ4」の反省を踏まえ
風通しのいい組織へ

 

25年前、内ヶ島が全19メーカー中最下位に位置付けていた高尾は、その後着実に歩みを進め、日工組の中でも中位に位置するメーカーに成長した。
しかし2018年6月、そんな堅実な足取りを揺るがす大きな問題が起こる。

高尾のキラーコンテンツといえば「カイジ」シリーズと多くが認めるところだが、2018年にリリースされた「カイジ4」で大きなミソがついたのである。
同機については営業活動時に説明した数値や見本機の性能と、実際にホールで導入した運用機の数値や性能に大きな差異があったのだ。

内ヶ島が自責の念を込めつつ、重い口を開く。

「あの問題に関しては誠心誠意の対応をして、信頼回復に努めてきました。それでも心の中ではまだ納得されていないホールさまもいらっしゃるでしょう。それに対して私たちができることは真摯に向き合って、ホールさまやファンの皆さまに喜んでいただけるいい機種を出していくこと。それに尽きると思っています」

昨年11月、内ヶ島の社長就任を機に新体制をスタートさせた高尾。カイジ4問題の反省を踏まえ、二度とこの様なことのないよう改革を進めている。
「まずはお客さまの信頼回復に努める」ことを合言葉に、社内でコンプライアンス委員会を立ち上げて、営業資料1つにしても社内の複数でチェックする体制が作られた。その上で、部署間の連携を強め、風通しのいい組織を構築していくことを当面の目標に掲げている。

「前社長から引き継げるものは引き継ぎ、徐々に自分の色を出していきたいと思っています。あとは社内、部署間での情報の共有化を進めています。そうすることで社内の目標を1つにすることが重要だと考えています。社内の目標とはもちろんメーカーとしてホールさまやファンの皆さまにいかに喜んでもらえる機械を開発、販売するかです。その目標に少しでも近づくために会社をどう変化させるべきかを考えていくのが私の役目だと思っています」

 

 

続きはPiDEA Vol.155をご覧ください。