【パチンコ業界版】しくじりティーチャー-1時間目

2023.09.25 / 連載

講師
堀哲文(楽太郎)
1979年7月7日、山形県酒田市生まれ。慶應義塾大学文学部中退。私生活では同居歴15年のパートナー&フレンチブルドッグともに東池袋に暮らす。現在は、パーラー富士の出入り業者だったビルメンテナンス会社の老社長から「跡継ぎがいなくて困っている。お店潰れたのなら、堀さんやってよ」と声を掛けてもらい目下経営ならびに共用住宅・複合施設などの特殊清掃業務を修行中。その流れで、清掃業と併せて警備業も展開しようと画策中で、施設警備業と交通誘導警備業の現場に立ちながら警備員指導教育責任者資格を取得し事業者登録を目指す日々を送っている。  


編:池袋パーラー富士が閉店したのが今年の4月30日でした。それ以来、どんなことをやっていたのですか?

堀:正確には、他の事業もやっている法人のホール事業部廃止ですね。所轄に廃業届を提出して、業者さんが入る前に自分でできる範囲の店舗解体作業をやっていたのが5月の中旬まで。売却できる設備機器は丁寧に取り外して、そうでないものや箇所はけっこう派手に壊して分解しました。玉・メダルなんかも全部ひとりで抜きました。6月中旬にすべてが終わり、お役御免ということで17年間勤めた会社を退社し、今に至ります。

編:堀さんの業界歴を振り返ると、①パーラー富士の店長、②業界ライター楽太郎、③堀さん自身という「3つの顔」があったように思います。それぞれについて「しくじり」エピソードを披露してくださればと思います。 

堀:大学を中退してから広告代理店の営業マンをやっていて、その顧客だった不動産屋の社長さんから「堀くん、学生時代はパチ屋でバイトしてたよね? よかったらウチに来ない?」とお声掛けいただき入社してから最初の3年間は、全部しくじっています。具体的には、従来単店ならではのユル~い感じでやっていた店舗運営について、各種マニュアルやルールを整備してガチガチの管理体制にして、出入り業者さんに対してもコスト・効率・付き合いやすさ主眼での査定をシビアにやり過ぎました。この結果、職場で完全に浮いて孤立しました。でも職責としては入社6カ月目からマネジャーだったので組織のあり方として、良かれと思って独善的ながらもビシバシとやるわけです。接客に関してもハウスルールをガチガチに固めて、例外ない遵守を社員・アルバイト・派遣、そしてお客さんにも求めて、一言でいえば窮屈な店にしてしまいました。全方位から、私に対しての憎悪の念を感じながらやっていました。

大学生時代にPIA上野店さんで4年間勤務してアルバイトリーダー相当をやっていたのも関係していると思いますが、単店ならではの「いい加減」の妙味みたいなものは、すべてマイナスに感じていました。ふと気付いたらベテラン社員もアルバイトもたくさん辞めていて、でも会社からは評価されて司令室長というイカした名称の副店長格に昇進したのが入社4年目なんですが、経営者一族で当時の店長さんから池袋駅北口にある居酒屋で「アンタ、このままじゃダメになるよ」と言われたんです。本当に優れた人物には人も金も物も機会も自然に集まってくるけど、お前のやり方では得られるものは少ない、みたいな話でした。出入り業者さんに関しても、パーラー富士のような見返りが少ない小規模店が最高の取引条件や仕事内容を毎回例外なく求めても、向こうとしてはやっていられないわけです。

 

 堀:そもそもなぜ楽太郎という人格を作って発信するようになったのか。それには先代営業部長が関係しています。この人と私は、いわゆる「師弟関係」にあたります。ここでは詳細は省きますが、師匠がパーラー富士に正式に入社した1998年時点で、これから業界の姿は、おそらく見通し困難な時代へと激変するぞと思っていたわけです。このままだと、間違いなく早期に潰れるぞと。その数年後に私が入社してなにやらいろんなことに手を付け始めたのを観察した結果、まあこいつに自分の技術・経験則・人脈などを与えてみようかと判断したみたいです。

編:で、どのように「しくじる」んですか?

「人脈があるコンサルから情報を買ったり、オーナーや営業部署の実力者がまともな立場で単位・方面組合の活動に関わっていなければ、中小法人・店舗関係者は〝業界の大局的な動き〟を知り得ない」「業界のさまざまな悪習や課題を放置し続けた結果、今後、中小店舗がツブれることは仕方ないことだと多くの人が思っており、何よりも当事者である中小店舗の人たちがそう思っている」と師匠はよく言っていました。じゃあその常態をぶっ壊したらどうなるかなと思ったんです。業界団体・大手法人の動きやその背景なども含めて、正誤織り交ぜながらも即時的に情報が入手できるような環境にしたい、と。

後は、「誰が・いつ・どのように」発信するか、受け手のことをどれだけ考えられるか、信頼度が高いソースとして機能するか、読み物として鑑賞に耐え得る内容にできるか、そういったことだけが問題であって、じゃあやってみようかと。打算的には、業界の大通りにいるような方々とのコネクションを構築できれば、小規模店の役職者では絶対に不可能なものを手に入れることができるかも、と思いました。それが「楽太郎」が誕生した瞬間であり、まさにそのようにして日々情報が飛び交うようになった今の業界環境を創出する契機のひとつになったというのが「しくじり」といえるのかもしれません。いま業界の情報のやり取りを〝小遣い稼ぎ的〟に利用する業界人が増えているのはあなたの責任もあるだろうと指摘される場合がありますが、これについては、思うところが大きいです。 

 編:興味深い流れですね。プライベートでは、どのような「しくじり」がありましたか?

堀:ライトナウでしくじっているのかもしれません(笑)。なんでもかんでも、安請け合いみたいに関わっているように見えているらしく、かなり多くの知人から「堀さんはイエスマンだから、そろそろ断ることを覚えないと時間や労力がどんどん削られるよ」と注意されます。たしかに、準備が半日未満で記事作成・発信(講演・Zoom配信・動画出演など)が容易な案件のほとんどを、ご飯でも食べさせてくれればいいですよ、みたいにお受けする機会が多いです。  パーラー富士店長として、楽太郎として、堀として、それぞれの立場でしくじり経験をお話ししてきましたが、振り返ってみるとこれって本当に「しくじり」なのかな、いわゆるターニングポイントで、それを生かすことができたんじゃないかなと、そうも思えますね。

多くのフォロワーを抱えていた人気業界人ブロガー楽太郎。業界人からのクレームなどでブログは閉鎖へ……

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