今、栞織さんはアリーナ美女木店で働いているが、あくまで裏方として働いている。会社として取り組む新規事業の広報的な役割や、元々プロデューサーであったやじお氏の業務の一部を引き継いで、会社として取り組んでいるTwitterの管理など、アイドル店員を卒業してプロデューサー側に回ろうとしている。
どんどん若いスタッフがアイドル店員となっていく上で、自分が通ってきた道ならアドバイスもできるし、説得力もある。
「私は幸い少ない方だったけど、直接会った時に『(写真と)全然違うね』と言われるとやっぱり悲しいんですよ。心無いリプとかあるのでメンタルを抉られます。それもアイドル店員の心配なところで、そういった部分のメンタルケアが私に期待されているのかなと思います」(栞織さん)
フォロワーが多いほど、スポットライトは強い光になるが、その反面影も濃くなっていく。その影の部分こそ、運用担当者にはダメージを与えるのだ。矢面に晒されるアイドル店員の痛みをよく知る栞織さんが管理を行うのはうってつけの役回りだ。この新しい業務はもちろん結婚後もできるし、子供を授かったとしても自宅からテレワークで対応することも織り込み済みだ。
アイドル店員という1つのムーブメントを生み出した一方で、この新しい取り組みにやじおさんも意見を重ねる。
「今ってアイドル店員のゴールが演者みたいになってしまっているじゃないですか。それがゴールだとすると、企業としては貴重な人員を失います。僕たちは業界に先駆けてSNSをやってきて、そこがゴールだとおかしいと思っていたんです。だから栞織のように、結婚をしても子供ができても、働き続けられるようなSNSの環境づくりに取り組むようになったんです」
家族や子供をもつアイドル店員が何人いるかは定かではないが、少ない数ではないはずだ。若いうちは気合いと根性で乗り切れるが、そのうちすり減っていき、いくつもある人生の岐路で選択を余儀なくされ辞めていく。
「アイドル店員が『オワコン』という批評もポジティブに捉えています。いることが普通になってきた中で、何人も業界を去った人たちを見てきました。普通にいなきゃいけないということはその人たちの待遇を改善していかないといけない。人は報酬があるからこそ働き続けられるしやっていけるわけじゃないですか。それはTwitterも同じことです」(やじお氏)
アイドル店員という存在は極めて身近で一般的なものになった。その存在を、アイドル店員という仕事を業界が求めていくなら、彼女たちの努力を消費ではなく、長い年月をかけて蓄積されたノウハウとして活用できるように、その先の未来まで考えるべき時期を迎えたのかもしれない。
「素でTwitter上に出ることに抵抗があった」という栞織さんは、ほぼ毎日カツラを被ってホールに出ていたという。自分が何歳までアイドル店員をできるのかは常に考えていて、彼女の中では「25、6歳」と想定していた。
「それ以上に続けるとなった場合は演者とかライターとか、顔出すならそっち系にいくしかないと思っていた時期もあった」
と店の看板になり続けることに本気で悩んだ時期があったという。今回、勇気をもって告白してくれたことは、同じような環境で悩む人の道標にきっとなるはずだ。